天神社跡・真言宗 松山寺跡

勝成が刈谷から持参した天神像を祀ったとも、島原の乱の際、原城内に在った天神画像を祀ったとも伝えられています。境内地に別当寺(神社を管理する寺)として松山寺が創建されました。天神社は慶應4年(1867)1月の長州軍の福山城攻撃に備えるべく松山(天神山)北側を胸壁にするため、現住吉三社地(住吉町)に遷されました。

天神社跡

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