福山城の外堀は南東に延びる運河(入川)で海に接続し、瀬戸内海から舟で直接城内に入れる構造になっていました。しかし、干潮時には堀が干上がるなど弊害があったためか、堀と運河の接続部分は「築切」と呼ばれる土橋で分離され、堀の水を常時海水で満たす特異な構造となりました。
福山城の外堀は南東に延びる運河(入川)で海に接続し、瀬戸内海から舟で直接城内に入れる構造になっていました。しかし、干潮時には堀が干上がるなど弊害があったためか、堀と運河の接続部分は「築切」と呼ばれる土橋で分離され、堀の水を常時海水で満たす特異な構造となりました。