ここにある石垣は福山城を取り巻く外堀の一部で、正面のクランク状の部分には二重櫓が建てられていました。
この櫓は「涼櫓」とも呼ばれ、周囲(この案内板から左側)にあった御屋形(藩主居館)の休憩施設として用いられ、内部は座敷で窓も大きく造られるなど、防御よりも居住性が重視された特異な構造を持っていました。
明治時代の福山城廃城後、御屋形は取り壊され外堀(この案内板から右側)は埋められて両備軽便鉄道(現在の福塩線)両備福山駅が建てられるなど、周囲は市街化していきましたが、この櫓だけは改変されながらも残されました。しかし、1945(昭和20)年の福山空襲で焼失し、石垣はこのときの熱で表面がボロボロになり、現在の姿になっています。
2022年5月撮影
2020年1月撮影
復元図完成までの道のり
この復元図はどうやって作ったのかというご質問が複数寄せられましたので、作成の過程をご紹介します。古写真のような雰囲気にしていますが、実はCGイラストとして作っています。
パースの検討
説明のための図では1枚の中にいかに情報を詰め込むかということが重要になります。これには、1次元よりは2次元、2次元よりは3次元での表現が有利ですので、斜め横から見下ろす、または見上げるという俯瞰の構図になります。
当初は今までにないものを作ろうと鳥瞰図的な見下ろすタイプの図を検討していましたが、今までにない=資料がないということと、現地での視点に近い方がいいだろうということで、最終的には見上げるタイプの無難な構図を採用しました。
屋根の作り方
屋根は基本的には同じパターンの連続ですので、それらしいパターンを作成して、これをコピペし形状の変更や陰影を調整し最適化していきます。
ただし、構成的には嘘がないよう屋根瓦の列数まで実物と同じにしています。
壁面の作り方
この櫓の壁は全面漆喰(単色白)ですので、陰影+汚れを加えるだけででほぼ違和感なく作成できます。これに個別に作成した窓を貼り付けて馴染ませます。
窓は古写真等の史料からは正確な形状がわからない部分があり、想像で補完した部分が多いのですが、なるべく想像部分の見分けがつかないよう少々過剰なぐらい汚れやノイズを加えてそれっぽくしています。
石垣の作り方
石垣は現地で現存部分の実物と比較できるよう、現存部分や古写真から同じ形状・色合いになるよう特に念入りに作り込んでいます。
その他
塀について
櫓周囲の塀は絵図では描かれていますが、廃城後早々に撤去されたようで塀のある古写真が見当たらないため、他の部分の塀の古写真を参考に同様の構造で新規に作成しました。
堀について
堀は水を湛えた古写真が見つかっていませんが、石垣の汚れ具合から喫水線を想定できますので、満水時の状態で復元しています。
なお、テクニック的には水面より上部を上下反転して水面部分に貼り付けて明るさを調整して馴染ませれば簡単に水面っぽい感じになります。
植栽について
植栽は復元としては嘘です。本来であれば背後に三の丸御殿が見えるはずですが、これを正確に復元するには作業量が割に合わず、かといって明確に誤った背景を描くわけにはいかず空白にするのも雰囲気が出ないので、画面の構成的に寂しくないよう配置しました。ちなみに、左右で同じパターンを反転して使っていますが、植栽は特にコピペが気づかれにくいです。
作成した画像をカラー化してみました。
現地の復元図では現存する部分のみをカラーにし、それ以外の部分をあえてモノクロにすることで、「失われた」ことを表現しています。
なお、原画は上で説明した通り当初からモノクロで作成していますが、デジタルのイラストはグリザイユという画法を応用してカラー化が非常に簡単です。
最後に
本図は実は復元としては完璧ではありませんが、専門家が見ても間違いを指摘されないよう、あえてノイズやぼかしを加えて正誤が判断できないレベルに情報を減らすと同時に古いカメラで撮影したような臨場感のある表現にしています。
すると、逆に専門家が本物の写真と勘違いしないか?と思われるかもしれませんが、この図が描いた廃城以前の福山城を写した古写真は1枚も見つかっていませんので、専門家なら本物ではあり得ないことがわかります。
参考までに、復元図を古写真風でなく絵画っぽくするとこんな感じになります。
図としても絵としても中途半端で魅力が減った気がしましたのでボツになりました。