(宮の小路) 惣堂八幡跡

戦国時代、山手銀山城主杉原盛重が野上村から伏見櫓下の樫木谷に遷しましたが、福山築城時、神嶋町下市の宮の小路に再度遷されました。正保期(1644~48)よりのち、下新町(現住吉町)に3度遷され、寛文3年(1663)、水野家御家騒動により、惣堂八幡の“惣堂”は“騒動”に繋がるとして延広八幡に改称されました。天和3年(1683)、野上八幡(西ノ宮)と同時に現在地に4度遷され、東ノ宮と称されました。

惣堂八幡跡

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