勝成が福山城築城に併せて沼隈郡神嶋村(現神島町)の商人を大手門前に移し、城下最初の町人町として誕生しました。ところが、寛永17年(1640)、神嶋町は出火により焼失したため、本橋下流の寺社町に移されました。正保期(1644~48)、侍町となった大手門前方面からの延焼により、移転したばかりの神嶋町は再度、火災に遭いましたが、その後の区画整理で寺社群は各所に移り、町は上市・中市・下市に分かれ、城下商業の中心として発展していきました。
勝成が福山城築城に併せて沼隈郡神嶋村(現神島町)の商人を大手門前に移し、城下最初の町人町として誕生しました。ところが、寛永17年(1640)、神嶋町は出火により焼失したため、本橋下流の寺社町に移されました。正保期(1644~48)、侍町となった大手門前方面からの延焼により、移転したばかりの神嶋町は再度、火災に遭いましたが、その後の区画整理で寺社群は各所に移り、町は上市・中市・下市に分かれ、城下商業の中心として発展していきました。